畠中快さん

掲載日:2026/01/08

畠中快さん

海、山、川と三拍子そろった美しい自然に囲まれ、透明度の高い海ではサンゴウォッチングが楽しめる奈半利町。そんな奈半利町で生まれた畠中快さんは、高祖父から代々漁師を生業とする家系に生まれ、幼い頃からイカやグレを相手に釣りを楽しんできた。 高校は水産海洋系の高知海洋高校・航海専攻科を選択し、二カ月間に渡るハワイ沖での遠洋航海実習を経験。卒業後は大手海運会社や釣具店で勤務するなど、常に海が身近にある環境で過ごしてきた。


23歳の頃、自営漁業者育成事業を知ったことをきっかけに、奈半利町に戻り漁師の道へ進んだ。 自営漁業者育成事業とは、生活支援金の給付(最大15万円/月)を受け取りながら、指導役の現役漁師の船に乗って1年間漁について学び、長期研修修了後は給付を継続して受けながら(最長1年)独立を目指す制度だ。畠中さんは長期研修を終えた後、水産業競争力強化漁船導入緊急支援事業(漁船リース事業)を活用して船を導入し、独立を果たした。


奈半利町の釣り漁師たちの主な漁獲物は「キンメダイ」。ご存じの通り高級魚の一つで魚価が高く、長年にわたり主要な収入源となってきた。畠中さんもキンメダイ漁で生計を立てようと独立したが、その直後、思いもよらない困難に直面する。漁獲量の減少である。急激にキンメダイの漁獲量が落ち込み、2025年には畠中さんが所属する高知県漁協加領郷支所に水揚げされたキンメダイは結果としてゼロとなった。


漁に出てもまったく魚が獲れない状況に加え、燃料費の高騰が重なり、利益が出にくい「ダブルパンチ」の状態に陥った。ほとんど収入がない中でも、船に関する支払いは待ってくれない。転職も考えたが、補助金の返還義務が重くのしかかり、簡単に踏み切ることもできなかった。八方塞がりの状況の中、夢に描いていた漁師生活とはかけ離れた現実に直面し、現在はアルバイトをしながら生計を立てている。同じ自営漁業者育成事業で出会ったという仲間も同様の境遇に置かれていたという。


「頑張っても報われない」。畠中さんの言葉が、現場の厳しさを静かに物語る。それでも取材に応じてくれた背景には、奈半利町で代々受け継がれてきた漁を、簡単には手放したくないという思いがあるのかもしれない。


畠中快さん2

奈半利町をはじめとする高知県東部のキンメダイ漁は昭和50年代から始まったものであり、それ以前の漁師たちはキハダマグロやイカ、サバなどを狙い、一年を通して柔軟に魚種を変えながら生計を立ててきた。魚種を変えるには船の改修などの費用もかかるが、それを補ってきたのが、不漁にも対応できる知識と経験だった。

 

畠中さんも、海で育った経験を活かし、目標だったキンメダイが獲れなくなった代わりに、キハダマグロを主な漁へと転換した。体長1〜2メートルほどになるキハダマグロは、強烈な引きと圧倒的な達成感で釣りファンにも知られている。畠中さんは糸を素手で引き上げるというワイルドな漁法で、最近では71kgの大物を仕留めた。

 

しかし、ここでも新たな壁が立ちはだかる。キハダマグロの「ヤケ」だ。マグロは自身の体温や処理方法の影響で身の一部が白っぽくなる「身焼け」が起こると、商品価値が大きく下がってしまう。全国的にも課題とされているこの問題に対し、畠中さんを中心に、地元漁師や漁協、仲買人、鮮魚店が連携し、試行錯誤を重ねる実験が始まった。


数年にわたる取り組みの結果、ヤケの発生を大幅に抑えることに成功。水揚げされたキハダマグロの7〜8割でヤケのない魚体を確保できるようになり、魚価も上昇した。結果として、キハダマグロの有名産地である和歌山県串本を上回る価格がつくという、小さな港町にとっては大きな成果を生み出した。


キハダマグロ

黒潮大蛇行や温暖化などの影響による不漁は全国的に発生しており、漁師を目指す人にとっては、決して軽視できない不安材料だろう。一方で、日本の食文化は古くから魚に支えられてきた。正月のお節料理には田作りや昆布巻きが並び、成人式や結婚式などの祝いの席には尾頭付きの鯛が欠かせない。七福神の恵比寿様がタイを抱いている姿も、魚がもたらす豊かさの象徴といえる。

 

海とともに生きてきた奈半利町には、先代から受け継がれてきた知識や漁法があり、厳しい状況の中でも知恵を出し合い、支え合おうとする人のつながりがある。漁業を取り巻く現実は決して甘くはない。それでも、地域とともに未来を模索し続ける姿が、ここにはある。

畠中快さんと仲間

畠中さんのメッセージ

独立型漁師は、そんなに簡単なもんじゃない。
でも、自分は海の町で育ってきちゅうし、これしかようせん。
しんどい時もあるけんど、ほんまに天職やと思っちゅう。
船の支払いを終えたら、さらに上を目指して頑張りたい。

 



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